社紋

・950年続く毛呂の流鏑馬「古式流鏑馬祭」

当社の流鏑馬の起源は康平六年(1063年)、当地を訪れた源義家公が、奥州征伐成功の御礼に流鏑馬を奉納したことに始まります。
江戸期には旧暦8月15日の八幡宮例祭、旧暦9月29日の飛来大明神例祭において流鏑馬が奉納されました。
現在は毎年3月第2週日曜、11月3日の2回行われます。それぞれ「春の流鏑馬」「秋の流鏑馬」と呼ばれ、春季大祭(祈年祭)・秋季大祭に併せて行われます。
昭和33年3月20日に埼玉県指定無形民俗文化財となり、今に至っております。

春のやぶさめ

・春の流鏑馬

春の流鏑馬は当社の八幡宮に由来する流鏑馬といわれております。
未就学の男の子が務める乗り子が、矢取・口取り衆にいざなわれ毛呂の街を廻り、神社の馬場にて願的(がんまとう)を騎射し、郷中の安全を祈念します。
乗り子の頭上後方にはオカイドリと呼ばれる衣類が竹にかけられ同道します。これは乗り子を守る母親の象徴といわれております。
愛らしい乗り子の姿が毛呂の郷に春の訪れを告げます。

・秋の流鏑馬

秋のやぶさめ

春に対し秋の流鏑馬は飛来大明神の祭礼の流れを汲む流鏑馬といわれます。
秋の流鏑馬は輪番制をとっており、当番にあたる地区の小学校高学年から中学生位までの少年が、各当番地区より1名ずつ計3名選出され乗り子の任にあたります。
当番地区には序列が定められており、筆頭の一の馬を出す地区は源氏を表す白の色を、二の馬は藤原氏を表す紫、三の馬は平氏を表す赤を用います。
11月3日は午前の朝的(あさまとう)と午後の夕的(ゆうまとう)の騎射が行われ、夕的においては扇子やノロシなどの馬上芸も披露されます。
秋の深まる境内を毛呂の若武者が駆け抜けます。

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